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2009/6/6 12:33 |
紛糾した合併推進決議 ―河内長野市との合併問題(千早赤阪村合併問題)
紛糾した合併推進決議 ―河内長野市との合併問題(千早赤阪村合併問題)千早赤阪村在住 鈴木鉄雄 突然出された合併問題千早赤阪村村長は、07年4月12日の議会全員協議会で、「今後の村のあり方について」の説明をおこないましたが、「村のあり方」とは言うものの、内容は来年4月に河内長野市と編入合併をするというものでした。村長の説明では、土地の売却がうまくいかず、交付税の減、府の振興補助金の減などのスピードが早く、村の行革が追いついていかないので単独行政がむつかしくなった。来年4月1日を目途に河内長野市との合併をするというものです。そして村は、厳しい行財政運営の中、住民に村の現状を理解してもらい、今後の村のあり方について、村内13地区で4月19日から5月11日まで各会場とも午後8時から2時間程度の説明会をしました。 村の財政危機は、村長も認めていますが小泉構造改革によって交付税や補助金などが削られたことが最大の原因です。村は、平成17年度から「元気プラン」によって住民サービスを削ったり、公共料金の値上げなどをしてきました。さらに国が指導してきた「集中改革プラン」にもとづいて、村独自の財政再建計画を進めていますが、平成21年度までの5年間で5億5000万円の住民負担とサービス低下を計画しています。 財政再建団体転落の説明も当初は平成17年度になる、次に平成19年度になると言っていましたが、今は平成22年度になると、ころころ変わってきています。これは、行革によって財政の赤字が減った結果に他なりません。 大阪府の押しつけ合併合併について村は、住民説明会でも大阪府の斡旋によることを盛んに強調しています。大阪府の担当者も「賢明な選択だ。合併は避けて通れない」(5月15日読売テレビ)とのべています。昨年7月に発表した「市町村合併推進審議会」の中間答申でも1万人以下の町村は合併しなければどうなっても知りませんよと言わんばかりの説明をしています。府の担当者が村の区長会に出かけていき、合併推進の説明をし、「私を男にしてください」と頭を下げています。要所要所に府の担当者が村に来て指導をしています。地方自治はどこに行ってしまったのかと情けなくなります。そして大阪府は、どうしても合併させると躍起になっているとしか見えません。 村民の反応は「大阪府唯一の村消える?」というマスコミ報道がされて、共産党村会議員団のところに「どうなってんの?」「村がなくなるというのは本当か?」という問い合わせや「この際、村長になって欲しい」などという意見も寄せられました。 村の各地区で村民への説明は、財政的にやってゆけなくなった、夕張市みたいにならないために、黒字のうちに合併をしてもらう、そのために来年4月を逃せないというものでした。「村長がやってゆけないと言うなら合併しかない」という賛成する人や「何で急にそんなんになったのか」「村のままでやって行けないのか」など様々な意見が出されました。 地区によって出される意見もちがってきました。森屋地区などは日常的に富田林市とのつながりが強いところですので、何故河内長野市かという意見も出され、小吹台などでは富田林市との合併では反対の声が圧倒的に多くありましたが今回は賛成の声も出ています。 12地区のうち9地区は区長がまとめで「これでいいですね」など挨拶しましたが、森屋、小吹台、中津原では、多くの意見が出され区長の挨拶も賛成、反対の方向を示さないものとなりました。特徴的な意見は、合併に賛成の人も反対の人も余りにも急で強引な進め方には疑問を呈し、村民の意見を集約する住民投票には賛成の意見でまとまっている事でした。 村は、説明会を準備する段階で各区長に最後のまとめで賛成する方向でまとめて欲しいと要望しましたが、人口の7割を占めるところで村の意向どおりにはなりませんでした。 河内長野市と直接話したことがない ―特別委員会5月18日に村から議員全員協議会で説明会の報告がありました。村長は「延べ865人が参加し、財政再建団体転落の危機的な財政状況下では『合併やむなし』の意見が多く寄せられました。合併反対もわずかながらあり、住民投票を求める意見もありましたが、村全体として総合的に判断した結果、概ね理解いただいたものと考えている」と述べました。 議員からは、説明会での村長の説明に矛盾があることや、財政再建に取り組んでいる最中での合併は再建計画を投げ出すのか。住民投票やアンケートを求めることなど、さまざまな質問があり合併問題を議論する特別委員会の設置を決めました。 千早赤阪村の全議員で構成する合併問題特別委員会が6月4日(月)と10日(月)にくすのきホール会議室でおこなわれました。委員長を除く全議員が村当局に見解を質しました。共産党の徳丸議員は、河内長野市の誰と何時話をしたのかを詰めたところ、村長からは「大阪府と話をしているので大阪府を信じている」と答弁があり、河内長野市とは直接、誰とも話をしていないことがわかりました。 関口議員は、村長が議員の時に出したビラで場合によっては住民投票も考慮すると言っていたのに今回何故しないのかと質しました。 野上議員は、財政破綻というが、退職者債など今ある制度使うことや臨時財政償還費は国が返すもので実質村の借金ではないことなどを考慮すれば赤字幅が大幅に減るのではないかと質しました。 傍聴しての感想は、合併推進を表明した議員も、地区説明会がお粗末な資料で進められたこと、来年4月という余りにも拙速なやり方に苦言を呈し、なぜ合併推進を表明するのか疑問に思う議論展開でした。 注目された村議会本会議6月議会の最終日の22日は、合併推進決議案が出され、議決するかしないかと合併問題が大詰めを迎えるというので、新聞、テレビのマスコミも大勢駆けつける中で開催されました。 議会内の勢力は、合併推進派5人、反対派5人と真二つに割れていました。推進派が議長をしていたのでこのままでは推進決議は否決されるというので、匿名の手紙を各議員に送りつけたり、職員組合や互助会を名乗り議員に推進の要請する、区長の推進署名を集めるなど様々な圧力を議員にかけてきました。しかし、本会議開会までこの勢力は変わりませんでした。 当日の冒頭に貝長議長が突然辞職したので議会が混乱しました。議長は「合併協議の推進を求める決議」を通すためにおこなった暴挙です。新しく豊田議員が投票により選出されましたが就任を拒否、その後、指名、起立による議長選挙を8回行いましたが、決まらず、共産党の副議長が議事を進めることになりました。 その結果、決議は、賛成5、反対4の僅差で可決されたものです。議会のルールでは、先議の議長選出で全員が辞退し、候補者がいないときは副議長が議事を進行することになっています。副議長をもつ日本共産党はこのルールに従ったものです。 共産党は、村がなくなるかもしれないと言う重大問題ですので、住民投票で村民の意見・態度を決めるべきと住民投票条例案を提案しましたがこれも否決されました。 7月3日に臨時議会が開催され貝長議員が再度議長に選出されました。「合併の推進決議」を辞職までして通しておきながら、また議長に。「党利党略もはなはだしい」という意見も寄せられています。議長職を投げ出したものが、またのうのうと返り咲くとは、住民から見れば、あきれてものがいえません。 合併協議会の立ち上げなど今後も続く推進決議は議会の意思を表すものとして重いものがあります。法的拘束力はないとか、協議会立ち上げ後も意見を言える場があるなどの意見もありますが、推進決議が通ったことにより山を越えたように見えます。その後、反対していた議員2名は賛成派と行動を共にして大阪府への要請にも行っています。 現状でも、財政的に村長がもうやってゆけないのであれば仕方がないという人が大半で、村がなくなるのは寂しいと多くの方が思っています。小さくても輝く町村が全国に沢山あり、町村長が行政を投げ捨てるのでなく、率先してまちづくりの先頭に立っている事例を村民に知らせることや村の中でいきいきと活動している村民を信頼し、そのエネルギーを引き出せば自立の道も可能なことなどを知らせていきたいと考えています。 |
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2009/6/6 12:02 |
財政再建プログラム試案に対する中間提言 〜府民のくらし・福祉を守ることと両立できる大阪府財政再建、もう一つの道〜
財政再建プログラム試案に対する中間提言−府民のくらし・福祉を守ることと両立できる大阪府財政再建、もう一つの道−■ 財政再建プログラム試案に対する中間提言(PDF) 2008年5月15日(木)、当研究所は、府政記者クラブにおいて、「財政再建プログラム試案に対する中間提言−府民のくらし・福祉を守ることと両立できる大阪府財政再建、もう一つの道−」を発表しました。 参考リンク |
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2009/6/6 11:53 |
自治体学校・交流会「韓国の民主化闘争の歴史を聞く」に参加して
自治体学校・交流会「韓国の民主化闘争の歴史を聞く」に参加して2008年7月25〜27日に開催された「第50回自治体学校 in 大阪」は参加者1800人を超え、大阪からも650人の参加があり、成功裏に終了しました。今回の学校には当研究所と交流のある釜山から20名が参加し、日韓特別企画が設けられました。本誌では、交流会に参加された堺市職労の中村さんのレポートを掲載します。 堺市職員労働組合 中村晶子 講師の黄漢植(ファン・ハンシク)氏(釜山大学教授)は、今回の自治体学校に20名で参加された韓国からの訪日団の団長です。昨年9月、釜山で開催された韓日地方自治フォーラムでご一緒させていただいたので、久しぶりの嬉しい再会となりました。いつもは地方自治・地域政策の専門家として、アカデミックなお話を聞くことが多いのですが、今回は先生自身が民主化闘争にかかわった経験をお聞きするという、得難い機会となりました。 黄教授は韓国南部の馬山の隣町の出身で、1960年、中学生の時に、李承晩政権の不正選挙に反対し、政権を打倒した「4・19民主革命」を経験されたそうです。この時は、デモに参加していて当局に殺された高校生の死を、政府が隠蔽しようとしたことをきっかけに、民衆の怒りが頂点に達し、最終的に李承晩大統領は辞任、ハワイに亡命しました。 その後、黄教授は、ソウルの「クリスチャン・アカデミー」で農民運動や労働運動の組織化の仕事に携わっておられた1979年3月逮捕され、二度の裁判で無罪を勝ち取るまで、40日間、韓国中央情報部(KCIA)に拷問を受けていたそうです。 今年、日本で公開された映画『光州5・18』で描かれた1980年の光州事件の時は、ソウルで光州行きのバスに乗ろうとしていて、もし、そのまま光州に向かっていたら、市民軍とともに銃を取り闘っていて、今この場に居ることはできなかっただろうという言葉に歴史の重みを感じました。 韓国ではソウルでの100万人デモなど大規模な国民的運動の結果、1987年6月に全斗換政権を屈服させ、直選制改憲を骨子とする真の民主化を実現させました。 今年6月に、BSE問題に端を発したソウルでのキャンドル集会では高校生など若い人たちが、インターネットなどを介して呼びかけあって、政権を揺るがす大規模な運動に広がったそうです。大統領直接選挙制とも関連して、中央政府に対する運動の盛り上がりは、日本よりも韓国が大きいようですが、地方分権や住民自治の拡充をめぐる取組はまだまだ不十分だということでした。 黄教授は、現在、釜山大学でNGO活動などをしている市民が地方自治を体系的に学ぶ講座を開設し、釜山分権革新運動本部を中心に、地域均衡発展、民主的地方分権をめざす運動の先頭に立っていらっしゃいます。今回、自治体学校に参加されて、韓国でも、市民、自治体労働者、研究者がともに学び合う自治体学校のような取組を立ち上げたいという決意を表明されました。 黄教授のお話を聞き、民主主義の社会を実現するためには、こんなにも長い運動と犠牲が必要だったのかということを改めて感じ、今後も隣国として交流を深め合いながら、学び合いたいと思いました。 |
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2008/10/23 15:58 |
町屋再生に見る「まちづくりと市民協働の秘訣」
町屋再生に見る「まちづくりと市民協働の秘訣」松本裕彦(大阪市立大学経営学研究科後期博士課程) 8月28日、「第3回 なにわ元気アップフォーラム」が、(主催)大阪市、(共催)大阪市大大学院創造都市研究科により開催された。平松邦夫市長が登場することもあって、会場となった大阪駅前第2ビルに開設された創造都市研究科の教室は大入り満員。市長は冒頭挨拶で「まちづくりについて、これまで行政がきっちり対応してきたのか、ほとんどできていないのかも含めて話し合いをしたい」と意気込みを語った。 住民の方に町の良さを知ってほしい「まちづくりと市民協働の秘訣」をテーマに、基調講演に立った「からほり倶楽部」代表理事の六波羅雅一氏は、空堀商店街周辺で、建築の専門家として町屋再生に取り組んできた経験を次のように語った。解体されようとする長屋を複合施設として再生させ、「惣」や「練」には喫茶店や雑貨などの店舗が入居し、「萌」の中には直木三十五記念館を寄付金で設立することもできた。最近は、大阪市HOPEゾーン事業も活用しながら取り組み、堺市内でも町屋を複合施設に再生している。私たちは「住民の方に自分たちの町の良さを知ってもらいたい」との思いで取り組んできた。 平松市長から「(1)古い建物を再生したきっかけは何か、(2)町の人々が入り込んできたという印象はあるか、(3)大阪市の対応はどうだったか」などの質問が出された。平松市長は元ニュースキャスターだけあって手馴れた感じであった。六波羅氏は「(1)潰されそうな町屋について仲間と相談して『やはり残したい』という思いでやってきた、(2)当初は住民から反対されたが『からほり・まちアート』の取り組みで1万人もの観光客が町の商売にも影響を与えだすと認めてくれるようになった、(3)大阪市のHOPEゾーン事業に感謝している」などと返答された。 「まあええか」の精神が大事次に講演に立った寺西興一氏(大阪府登録文化財所有者の会事務局長)は、地下鉄「昭和町駅」のすぐそばで、所有する長屋を店舗に改修した経験を次のように語った。私は六波羅さんのような使命に満ちた考えはなく、これまで周りの人の意見を聞いて「ままええか」という気持ちでやってきた。阿倍野区は戦災に会わなかったため長屋が残り、私が生まれた昭和20年の大阪市内は長屋ばっかりだった。昭和7年に建設された私の所有している長屋が文化庁登録有形文化財に指定され、見た目がボロボロだったので宮大工に頼んで店舗に改修した。最初は屋根、樋、柱、土台程度を改修するつもりだったが、窓、物干し場、手すり、玄関、素戸へとエスカレートしていった。昭和の日(4月29日)に開催されるイベント「どっぷり昭和町」ではジャズ演奏や落語など多彩な催しに長屋の沿道は人並みで賑わった。町内会の協力もあって道を占拠していた違法駐輪が消えた。私が有名になったのは、長屋を改修して店舗にする方がマンション建て替えより経済効果があると発表したことに、マスコミが注目したからだ。ちなみに、現在の店舗はフレンチの「混」、和食の「旨魯」、中華の「AKA」が営業している。 続いて平松市長から「(1)固定資産税が2万円というお話にはびっくりしたが、RCのマンションに建替えてもらっていれば耐震性も心配ないのだが、(2)『どっぷり昭和町』のイベントは大盛況だが無法地帯のような感じに見えるが事実はどうか、(3)古い町屋再生は経済的な波及効果があると考えていいのか」などの質問が出された。寺西氏は「(1)昭和19年と21年の二つの南海地震を経験して潰れなかった建物だが、今後は耐震補強の検討は必要だろう、(2)これからは空堀の取り組みに学んで、町の人の協力で『まちアート』をやってみたい、(3)経済効果だけでなく、自国の文化を見直すきっかけになるし、日本人の癒しにもつながると考えている」などと返答された。 人情を大切にした市民協働コーディネーター役の小長谷一之教授(市大大学院創造都市研究科)は「空堀の再生町屋は『ほう・れん・そう』、昭和町の再生町屋は『アカ・シロ・コン』と覚えてください」と会場の笑いを誘った後、「(1)全国で町屋再生は取り入れられている、(2)寺西氏のケースで放置自転車がなくなり花が置かれるようになったことに見られるように町の人情が関係する、(3)『まちアート』などの取り組みでは大阪らしさが大切だ」などとコメントされた。 会場から「(1)ふるさと納税の大阪市への寄付を区に限定してできないか、(2)空堀からアメリカ村や堀江につながる『くすのき通り』の歴史を掘り起こして西から東へ結ぶ『特区』を考えてほしい」などの質問が出された。 平松市長から「(1)ふるさと納税を橋下知事は『おおさかミュージアム構想』に活かそうと大々的にやっているが、ふるさと納税は確定申告などややこしく、単に寄付すれば済むものではないので、大阪市は、市民が理解できるように周知できた段階でやっていく、(2)大阪市と住民が一緒になってお祭りができるまちづくりをしていきたいし、そのためにも市民協働もしたい」などと返答された。 講演者に対して「堺市で古墳群を盛り上げる取り組みをしているが、若い人の参加で新しい風を入れるための方法はないか」との質問が出され、六波羅氏から「上町台地からまちづくりを考える会」の活動もしているが、いろんな団体とコミュニケーションを持っていると良いことがある」、寺西氏から「若い人の意見を聞いて『まあええか』とやることが大事かな」との返答がなされた。 「町屋再生」「市民協働」に本腰を筆者は、これまで大型開発中心に展開してきた大阪市が、今回のような町屋再生について市長が対談することに大きな関心を持った。大阪市は第三セクターの経営破綻を契機に「国際集客都市」から「創造都市」へと都市像を転換させてきたが、現状は、梅田の北ヤード地区を初めとする大規模開発が行われる一方で、空堀地区のような町屋再生が取り組まれている。大阪市が直面している閉塞状況を打開するためには、戦後長らく続いた大資本・行政主導の大規模開発を抜本的に見直し、大阪市の歴史と文化に根ざした住民主体のまちづくりを目指す必要がある。そのためにも、自治体として「町屋再生」と「市民協働」に本腰を入れるべきである。筆者の詳しい主張については、大阪自治体問題研究所編・「研究年報(11)」を参照いただければ幸いである。 |
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2007/4/1 12:16 |
公益法人改革とその問題点について
公益法人改革とその問題点について弁護士・城塚健之(当研究所理事) 1 公益法人改革とは 2006(平成18)年5月、公益法人改革三法が成立し、明治以来続いてきた公益法人(社団法人、財団法人)に関する法制度が抜本的に変わることになりました(平成20年度までに施行予定)。 2 新法下での既存の公益法人の運命は 大阪自治体問題研究所のような既存の公益法人は、法施行後5年間の移行期間内は、「特例社団法人」「特例財団法人」(特例法人)として存続します(整備法四〇条)。この移行期間内に、「特例法人」は次のいずれかを選択することになります。 3 政府の説明 公益法人制度改革を謳った「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」(平成15年6月27日閣議決定)では、「民間非営利部門は、……行政部門や民間営利部門では満たすことのできない社会のニーズに対応する多様なサービスを提供することができる。その結果として民間非営利活動は、社会に活力や安定をもたらすと考えられ、その促進は、21世紀の我が国の社会を活力に満ちた社会として維持していく上で極めて重要」であり、「民間非営利部門を我が国の社会経済システムの中に積極的に位置付け、その活動を促進するための方策を講ずる必要がある」ところ、「近年に至るまで、一般的な非営利法人制度がなかったため、時代の変化に対応した国民による非営利活動の妨げになっていた」とされています。 4 本当の理由は新自由主義の要請1 新自由主義は、行政コスト削減を求めるため、行政の別働隊として機能していた外郭団体(その多くは公益法人)の整理縮小を要求します。また、民間企業と競合する分野については、非営利の公益法人の存在は自由市場の阻害要因となります。現在の公益法人数は国所管で約7000、都道府県所管で約1万9000とされていますが(2)、これを整理する必要があります。 5 予想される問題点 このような公益法人改革によって以下の問題発生が懸念されます。 注 |
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2007/3/1 12:23 |
第8回小さくても輝く自治体フォーラム in 綾町 ―第2期の運動は「実践型住民自治」で―
第8回小さくても輝く自治体フォーラム in 綾町 ―第2期の運動は「実践型住民自治」で―堺市職員労働組合自治研部長 中村晶子 九州で初めての開催、知事もあいさつに 2007年2月3日から2日間、第8回小さくても輝く自治体フォーラムが、過去最多となる66人の町村長が呼びかけ人となり、北海道から沖縄まで全国から457名の参加者を迎えて、宮崎県綾町で開催されました。 夕張問題をとらえなおし、「実践型住民自治」での再生を 初日全体会では、藤原宏志氏(みやざき住民と自治研究所理事長)による「綾町の自然生態系農業と村づくり」のお話の後、保母武彦氏(自治体問題研究所理事・島根大学名誉教授)による「小規模自治体にとって『夕張問題』とは何か―小さくても輝く自治体運動の『第2期』へ―」と題する記念講演がおこなわれました。 都市と農村との真の協働めざして 大阪自治体問題研究所を中心に結成された「なにわ応援隊」は今回7回目となり、住民・地方議員・自治体労働者など16名の参加がありました。恒例となった夜の独自交流会では、兵庫県福崎町の嶋田町長、沖縄県与那国町の浅海邦弘さん、長野県地方自治研究センターの和田蔵次さんといった多彩なゲストを迎え、研修制度の充実など民主的自治体職員づくりに力を入れながら、情報公開を徹底し、住民本位の施策選択でまちづくりをすすめている福崎町や、Drコトー診療所で有名な与那国町比川地区のまちづくり計画などを話題に、夜を徹した議論がおこなわれました。 |
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2007/1/30 12:30 |
都市と農村の協働に向けて −長野県の取り組みに学ぶ−
都市と農村の協働に向けて −長野県の取り組みに学ぶ−堺市職員労働組合自治研部長 中村晶子 「小さくても輝く自治体フォーラム」をきっかけに 2006年11月24日、大阪自治体問題研究所の主催で、地方自治・財政再建をテーマに長野県職員との交流会がおこなわれました。 入札制度改革と公共事業評価 まず、関さんから長野県の行財政改革と財政再建のあらましについてお話がありました。長野県では、90年代、特に98年の冬季五輪に向けた開発ラッシュで、公共事業費を大幅に増加させ、県債残高はピーク時の2000年で1兆6000億円、起債制限比率は全国ワースト2となるなど、借金による公共事業に依存した行政運営が続けられてきました。 市町村の自治と自律を支援する県の役割 続いて、林さんが、長野県の市町村支援事業について報告。長野県では県内81の自治体に対して、(1)行政改革支援(2)財政健全化支援(3)税収確保支援(4)地域づくり支援の4つの分野を中心に市町村行財政運営サポート事業をおこなっています。 地方自治の未来を拓く都市と農村との協働 お二人の報告を受けた討論では、国の地方構造改革の動きに話題が及びました。住民の立場に立った改革を進めれば進めるほど、国との関係で縛られることが多く、国の施策との矛盾も浮き彫りになります。例えば、建設業従事者の業種転換の問題でも、日本の失業保険や職業訓練制度の貧困さがネックとなっていますが、これは長野県だけで解決できる問題ではありません。 (参考) ○吉澤猛「長野県内自治体における『自治体内分権』の取組みと課題」(『信州自治』2005・7) |
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2006/12/30 12:34 |
入学料未納で入学取り消し −大阪府立高校、経済的理由による入り口での締め出しは許せない
入学料未納で入学取り消し −大阪府立高校、経済的理由による入り口での締め出しは許せない大阪府立高等学校教職員組合 石崎真理子 ことの始まり 9月13日、府教委財務課より「入学料納付期限の変更」が提示されました。その理由としてあげられたのが、未納者が相当数あり、未納のまま卒業・退学する生徒もあり他の生徒との公平性を欠き、その未納をなくすためというものでした。 未納者の背景−経済的困難さの存在 府教委の資料によると、時効前5年間、2006年度全日制での未納者は444名で、その内訳は、失業・倒産・生業不振・長期疾病をはじめ経済的理由によるものが289名、生徒・保護者の所在不明等で接触できないものが155名となっています。これはまさに生徒・その家庭の生活の不安定・困難さを示すものではないでしょうか。実際この444名のうち180名が授業料においては減免を受けている生徒たちです。 切実な府民の声 大教組・府高教では「(1)入学料未納による『入学取り消し』を盛り込んだ規則『改正』はおこなわないこと (2)入学料の減免ができるよう条例に沿って規則を改正すること」という、子どもの学ぶ権利を保障するという観点に絞って分会、民主団体を通じて府民に署名を訴えました。 授業料減免基準の改悪等も この入学料問題に先立って、2006年4月から授業料減免基準が改悪されました。新制度では、生活保護世帯には授業料分が生活扶助として支給される形となり、大阪府の減免制度から除外されました。一方、昨年までの許可基準が「生活保護世帯に準じる収入」となっていたものが、「住民税所得割非課税」以下まで引き下げられました。これによって許可率は昨年の95%から90%を切るまでに下がり、希望者のうち2605人が不許可となっています。 教育の機会均等の実現を 今回の大阪府教委の「入学取り消し」案は、授業料減免制度改悪に続き、経済的理由で子どもたちの学習権を奪ってしまう規則をつくろうというものです。格差が広がっている今だからこそ、教育基本法に定められた教育の機会均等を実現するための行政の働きが必要です。 |
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2006/9/30 16:38 |
認定こども園、どこが問題か
認定こども園、どこが問題か大阪保育運動連絡会会長 中山徹 認定こども園とは 3年ほど前から、幼稚園と保育所を一元化すべきという話が急に進み出しました。このような考えを幼保一元化といいます。幼保一元化は、もともと保育関係者から出された考えでした。というのは、保護者の状態によって子どもの通う施設が、保育所と幼稚園に分かれるのはおかしい、幼稚園と保育所を区別せず、同じ施設にすべきではないか、と考えたからです。 私立認定保育所を、市町村から切り離す 今回の法律で最も重要なのは私立保育所の扱いです。私立保育所が認定こども園になりますと(以下、私立認定保育所と呼びます)、ふつうの私立保育所と大きく仕組みが変わります。 (大保連・機関紙より転載) 参考資料
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2006/4/30 16:44 |
06年度大阪府予算について
06年度大阪府予算について大阪府職員労働組合・平井賢治、同・横溝幸徳 府民向け予算や人件費を削減し、アジア関連イベントや大型公共事業へ大阪府は、2月20日2006年度当初予算案を発表しました。06年度予算の編成方針は、第1に行財政計画(案)に記載した行財政改革の取組を着実に実行する。第2に歳入を見通した上で歳出の上限を設定するなど、どうしても06年度に実施しなければならないものに限定する。第3に「アジアの中枢都市・大阪ビジョン(仮称)」(案)の事業や「7つの戦略的取組分野」への重点化を図るなど施策の選択と集中を行うとしています。要するに、行財政計画(案)に基づき、府民の福祉、教育、医療関係予算を抑制・削減するとともに、府職員の削減と賃金の引き下げにより人件費を削減する一方で、07年アジア主要都市サミット(仮称)の開催や08年先進国首脳会議誘致などイベントの推進と広域的なネットワークの確立の名による関西国際空港2期事業や阪神高速整備をはじめとする大型公共事業に回そうというわけです。三位一体改革のツケはそのまま府民に回されます。 一般会計3兆1229億円、前年度比で0.7%増 06年度の予算規模は、一般会計3兆1229億円で前年度比0.7%増となっており、特別会計1兆1939億円(前年度比8.5%減)を加えると、4兆3168億円(前年度比2.0%減)となっています。 税収伸びは小さく政府のツケは重く 一般会計の内訳を見ると、歳入では、税収が11944億円で441億円増、うち法人二税が4723億円で前年に比べ253億円増加しました。この水準は、底である02年度決算(3554億円)と比べると1169億円増加していますが、1984年度決算(4716億円)並でありピーク時(1990年決算8352億円)の56.5%となっています。法人二税は98年・99年に税率が12%から9.6%に引き下げられており、その影響が大きく97年の水準に達するまでにはいたっていません。 公債費減少と人件費削減で経常支出抑制 歳出では、公債費が減少しましたが人件費はさらに削減されました。人件費は9085億円で前年度比133億円減(1.4%減)となっています。一般行政部門の職員数を100名削減するとともに平均5.3%の給料引き下げなど全国最低レベルの給与水準を維持するとしています。96年以降約2850名の人員が削減されました。その多くは、保健所の統廃合や福祉施設の廃止、業務や施設の民間委託などいずれも府民の生活や健康を守る第一線で働く職員が削減されています。06年度は府立5病院の独立法人化、ドーンセンターや府営公園、青少年施設など公的施設への指定管理者制度の導入、レントゲン検診車「ハト号」の大幅削減、業務の民間委託化などが進められようとしています。 償還元金より多い公債発行で府債残高5兆円に 府債発行額は2427億円で前年度に比べ68億円増(2.9%増)となっています。内訳は、元利償還金の全額が地方交付税で措置される臨時財政対策債・減税補填債が850億円、財源対策による財政健全化債等で450億円、その他建設事業等で1127億円となっています。また、前年度との増減の内訳を見ると、臨時財政対策債・減税補填債が140億円減少し、財源対策で85億円減少しているにもかかわらず、その他建設事業等で123億円増加しているのが特徴です。これは投資的経費にかかる補助金105億円が純減となったことに見合うものです。 大型公共事業は温存 建設事業費は2899億円と前年度に比べ30億円減(1.0%減)と微減にとどまっています。三位一体改革に伴い社会福祉施設整備費(42億円)などが国庫補助事業から単独事業へ変更となったこともあり、国庫補助事業は2108億円(前年度比105億円減)となり、単独事業は警察本部庁舎建設費などを含め791億円(前年度比75億円増)となっています。 大阪府民には「お寒いかぎり」の予算 太田知事は、06年度予算案を「大阪のにぎわい創造2006予算」と名づけ、(1)アジアのにぎわい都市・大阪づくり(2)大阪の安全・安心(3)子ども施策、こころの再生と次世代育成の3つのテーマを掲げました。しかし、この言葉とは裏腹に、府立高校授業料の減免制度の改悪、私学助成の据え置き、生活保護関連予算の削減などを含め、06年度予算案は大阪府内に住み・働く住民にとって「お寒いかぎり」といえます。 |
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2006/3/30 16:47 |
輝きある高齢社会をめざして 退職後も自治体労働者の専門性を地域で活かそう!
輝きある高齢社会をめざして
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2006/1/30 9:58 |
「ソラダス」(NO2測定運動)の取り組み ―これまでの成果と第5回目について
「ソラダス」(NO2測定運動)の取り組み ―これまでの成果と第5回目について大阪から公害をなくす会事務局長 林 功 「ソラダス」とは?市民の手による環境監視活動をいっそう強化しようとソラダス実行委員会発足のつどいが12月に開かれ、来年2006年5月18〜19日の「二酸化窒素(NO2)簡易測定運動」準備が本格的にはじまりました。大阪では「ソラダス」と愛称され、今回のソラダスは、6年ぶりに府域すべての地域で測定しようと呼びかけているものです。 これまでの取り組み 大阪の府域をすべて網羅した大規模なNO2いっせい測定運動は、1978年からはじまり5年ないし6年ごとに取り組まれ(第2回84年、第3回89年、第4回94年、第5回2000年)、汚染実態、被害実態を住民の手で把握し、行政を動かしてきました。 汚染実態の解明 ―行政へ少なくない影響を与える メッシュ測定は府域1キロ区画(大阪市内は500メートル)ごとのカプセル濃度平均値を求め、NO2汚染の分布状況を明らかにしてきました。大阪市域の高濃度汚染が改善されないまま、開発がすすむのにともなって周辺地域に汚染が広がっています。図示すると一目瞭然です。こうした傾向は、毎年発表される国や府、自治体の環境白書などで明らかなことですが、市民の手による全域を網羅し継続した測定によって、地域間の比較、経年変化、局地汚染の実態などがより鮮明に浮かび上がり、世論の喚起と大気汚染行政に少なくない影響を与えてきました。 増えつづけるぜん息患者 ―正念場の大気汚染根絶の取り組み しかし、環境濃度が改善傾向にある一方で、ぜん息患者が増えつづけています。2004度にはじめて小学生の罹患率が全国平均で3%をこえ、大阪のぜん息児童の割合は、全国平均をはるかに上回っています(文部科学省の学校保健統計調査など)。また、環境省の公害認定患者現状調査では「5年前との症状比較で計87%が改善しない」と回答、空気の汚れが未だに我慢ならないもの、症状改善の壁になっていることが伺えます。成果が出てきているといっても、大気汚染はまだまだ油断できません。環境基準の正当性が問われます。まさに、大気汚染公害の根本的な解決にむけた取り組みは、これからが正念場です。 SPM、アスベスト問題も SPM(浮遊粒子状物質)も、環境基準が達成されたとはいえ、より細かい粒子による健康影響の重大性が明らかになってきました。光化学スモッグの原因となるオキシダント濃度はひきつづきすべての測定局で環境基準が未達成です。ダイオキシンやベンゼンにつづいてアスベスト(石綿)対策が後手にまわっていることがいま大問題になっています。有害物質による大気汚染への対策強化もこれからです。 公共性を保証する自治体行政を この4月、「三位一体の改革」の一つとして大気環境モニタリングの補助金が一般財源化の名で廃止され自治体に混乱が生じたため、環境省はあわてて常時観測が後退しない措置をとるための審議会を立ち上げました。大阪府では、環境局と自動車公害対策課の編成替えにつづいて、環境情報センター(旧公害監視センター)と局内3機関の研究・監視業務統合計画、大気常時測定業務の下請け化などが進んでいます。 |
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2005/12/30 10:02 |
住基ネット差し止め福岡訴訟に関わって
住基ネット差し止め福岡訴訟に関わって自治体情報政策研究所・代表 黒田 充 住基ネットは憲法13条のプライバシー権を侵害するものだとして、国等に本人確認情報(氏名、生年月日、性別、住所、住民票コード、及び、これらの変更情報)の削除などを求める「住基ネット差し止め訴訟」が全国各地の裁判所で行われて来た。2005年5月30日には金沢地裁が「住基ネットは違憲」として住民側勝訴の判決を下したが、翌日には名古屋地裁が「本人確認情報の秘匿の必要性は必ずしも高くない」などと全く逆の判断を示し、これまでの成績は1勝1敗の五分となっていた。そして3番目が福岡地裁判決(同年10月14日)である。 住基ネットによるサービスと必要性 ところで、政府は、住基ネットによって、住民票の広域交付と転入転出手続きの簡素化、行政手続き等への住民票の添付省略と年金現況届の廃止、住基カード交付など便利なサービスが実現できるとして来たが、最近は特に、世界最先端のIT国家を目指す国家戦略「e―Japan戦略」の重点政策の一つである電子政府・自治体を実現するためにも、住基ネットは必要不可欠だと盛んに主張している。しかし、金沢判決は、こうしたサービスの必要性や理由付けの妥当性を詳細に検討した上で「原告らのプライバシーの権利を犠牲にしてもなお達成すべき高度の必要性があると認めることはできない」との判断を下している。 電子政府・自治体と住基ネット 電子政府・自治体の主要課題である電子申請を実現するには、インターネット上で確かな本人確認ができる電子署名とその正当性を保障する電子証明書を発行する認証サービスがなくてはならないとされている。2004年1月に始まった公的個人認証サービスは、こうしたサービスを自治体が「公的」に住民に提供するものである。 必要性の議論を回避した福岡判決 以上のように、金沢判決には、筆者の意見書の指摘と一致する部分が少なからず存在しているのだが、実は、金沢地裁には、福岡地裁への意見書の写しが原告側から提出されていたのである(もちろん意見書が判決にどの程度影響を与えたのかはわからない)。 ※ 黒田充が福岡地裁に提出した意見書と参考資料を収めたパンフレット(発行:自治体情報政策研究所)を大阪自治体問題研究所にて取り扱っています。必要な方は研究所までお問い合わせください。 |
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2005/10/30 10:06 |
「堺自治モデル」の可能性 住民主権で拓く持続可能なまちづくり
「堺自治モデル」の可能性 住民主権で拓く持続可能なまちづくり堺市職員労働組合自治研部長・中村晶子 はじめに昨年2月に美原町と合併し、83万人となった堺市。現在、06年4月の政令指定都市移行をめざし、さまざまな問題を抱えながら手続きが進められている。自治の単位としては人口が多すぎる都市で、住民主権のための自治のしくみを市民とともに議論するため、8月20日、堺市職員労働組合の主催で「堺の未来を拓く市民シンポジウム―政令指定都市と住民参加・分権のまちづくり―」が開催された。 都市内分権と持続可能な都市 基調講演は、立命館大学森裕之助教授による「これからの地方財政と自治都市・堺の展望―持続可能な都市をめざして」。 「市民会議」に対する市役所の義務と責任の明確化 シンポジウムで提案した「堺自治モデル」は、大阪自治体問題研究所と森氏、初村氏の協力を得て堺市職労行財政分析研究会で議論し、市民議論に供した都市内分権モデルである。 川崎市・松代町
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2005/9/30 10:11 |
学童保育の全児童対策事業への一元化を許さない運動 −守口市の学童保育条例廃止の動きと闘う−
学童保育の全児童対策事業への一元化を許さない運動
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2005/4/1 10:15 |
阪南市における公民協働による地域福祉推進計画策定の成果と課題
阪南市における公民協働による地域福祉推進計画策定の成果と課題阪南市保健福祉部・水野 謙二 はじめに 阪南市は1992(平成3)年10月に市制施行を行い、人口6万人余り、高齢化率16.1%、少子化率15.3%、面積約36平方キロメートル、大阪市内から電車で約1時間という衛星都市です。 私たちの地域福祉計画とは私たちの地域福祉推進計画は、地域福祉を推進させるための計画です。どうすれば住みよい街となるか、「福祉のまちづくり」をどう進めるのか、どうすれば実現できるのか、市民の様々な生活要求に対応できる仕組みを、行政と市民が共に考え、その方法を探り合い、計画的に取り組んで行くための計画です。「福祉のまちづくり」の目指すべき姿を示すだけのものではなく、まちづくりを「公民」が協働して取り組むために、地域や暮らしの実態にこだわりながら、共通の理解と目標(夢)を持ち、市民・市職員などの意識の向上をはかるなど、それぞれが役割を分担し連携するための仕組みや条件整備などを計画化しました。また、本計画は市の総合計画のもとにあり、保健福祉の各個別計画を統合するものと位置づけています。 なぜ、公民協働で作るのか 高齢者の孤独死を防いだり、障害を持つ方の自立を支えること等、行政施策だけではどうしても防ぎ・守りきれないものがあり、それが、近隣住民の協力がある時こそ守れ、実現されるのです。住民による福祉活動を進めることは、市として、保健福祉サービスの提供における公的責任を住民に転嫁するものではなく、実践的にも責任ある在宅サービスが市や介護保険等事業所から提供されているところにこそ、住民の主体的な活動や協力がうまれることの事例は多くあります。 なぜ、地域福祉なのか 阪南市においても、一人暮しで孤立せず、要介護や障害を持っても地域で暮して行けるか、元気に子育てが出きるだろうかなどの不安が大きくなっています。そして、深刻な財政状況の悪化から、財政難を共有しながら公民が協働して、地域を中心としたサービスの充実を図り、地域資源の有効活用を進めたいと考えています。 住民参画の重視とその過程 ―計画策定の過程が地域福祉を推進させる 私たちの計画は、地域福祉を推進させる計画です。それは、市民主体の活動を支援するための計画であり、協働するための計画だということです。そのためにも、自分たちで作ったと言えるかどうかが重要となり、「一人ひとりを大切にした討議と合意の積み上げ」と「正確なデータ収集と切実な声の重視」を大切に、「計画策定がゴールではない」として、計画は作ってから動かすことが重要であるとし、計画を推進する主体者づくりを計画策定の中に組み入れ、計画策定の過程を、住民の活動体制づくり・活動おこしに繋げたいとしました。よって、策定過程には、独自の組織と調査手法などを必要としました。 成果と課題 まず、公民協働の福祉のまちづくりを担い、考える基盤(体制)形成に繋がりました。また、保健・医療・福祉・教育に止まらず、公共施設や公園等都市基盤の差が、自分たちが暮らす地域(校区)毎の行政の課題や住民自身の活動課題の違いであることを、公民で確認し合え、策定途中から公民協働の地域改善の動きが高まっています。 |
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2005/3/1 10:18 |
レポート 府立病院の独立行政法人化は許さない
レポート 府立病院の独立行政法人化は許さない大阪府職労本部執行委員・日名 廣江 大阪府が府立5病院の「特定地方独立行政法人へ移行」方針を公表 大阪府当局は昨年12月、府立の病院を府直営から切り離し、採算優先の独立行政法人へ移行する「府立の病院改革プログラム〜運営形態の見直し(素案)」を発表しました。 独立行政法人化のねらいは人件費削減 大阪府は府立の病院を独立行政法人に移行させる理由として、「現行制度では60億円の不良債務が解消できず、医療機器購入や病院建替えが困難。優れた人材も確保出来ない。安定的な病院経営のためには地方独立行政法人が適切と判断した」としています。 独立行政法人になると府民の受ける医療はどうなる 府立直営の5つの病院(母子保健総合医療センター、急性期総合医療センター、成人病センター、呼吸器・アレルギー医療センター、精神医療センター)は、小児・救命救急・難治性がんなど民間では担いにくい不採算高度医療や、精神・結核・感染症対策など政策医療を行政部門と連携して府民に提供しています。独立行政法人になれば、「独立採算」による目標管理と成績業務主義で赤字を生み出さないように、「中期目標」「中期計画」にそって、仕事をする事になり、儲ける医療にシフトすることになります。 何としても府立直営で医療の充実を 府職労の再三の要求により、12月中旬やっと開催された病院ごと病院事業局の説明会では、多くの職員から「なぜ独法化しなければならないのか。今の運営形態でも、充分改善の余地はある」幹部職員でさえ「医療の質はどうなるのか。充分な準備期間もないままむりやり独法化して大丈夫なのか」と府当局のトップダウンのやり方に怒りの声があがりました。 |
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2005/1/1 11:35 |
論説 「三位一体の改革」の全体像をどうみるか −もとめられる自治体の足元からの運動
論説 「三位一体の改革」の全体像をどうみるか −もとめられる自治体の足元からの運動立命館大学政策科学部助教授 森 裕之(研究所理事) 地方六団体の改革案 −日本の地方自治史上画期的な出来事 2004年8月24日に地方六団体が政府へ提出した「国庫補助負担金等に関する改革案〜地方分権推進のための『三位一体の改革』〜」は、日本の地方自治の歴史からみても画期的なものであったといえる。この改革案の中心的な内容は「骨太の方針2004」で課された補助金改革案の取りまとめであったが、その副題からもわかるように「三位一体の改革」全体にまたがる提案が盛り込まれていた。 政府の「全体像」の内容と評価 このような自治体、国、そして政府内部における激しい論争の中で、11月26日に「三位一体の改革」の全体像が決定された。結論からいえば、財務省などの議論に押し切られ、自治体にとっては厳しい総枠になる一方で、重要な争点については全て先送りされている。 |
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2004/12/1 11:43 |
レポート 「木綿物語」などのプロジェクトを推進 ―岸和田市の産業振興のとりくみ―
レポート 「木綿物語」などのプロジェクトを推進 ―岸和田市の産業振興のとりくみ―岸和田市職労(市商工観光課) 木村元広 岸和田市で「木綿物語プロジェクト」の取組みが今春からスタートしました。広く市民に綿を栽培していただき、地域の繊維企業グループがその綿で様々な綿製品づくりを進めるプロジェクトです。 きしわたの会の発足と発展 実は、このプロジェクトには前史があります。 まだまだ課題がいっぱい 私も会の発足と取組みに参画してきました。その活動内容をおおさか自治体学校で報告させていただいたこともあります。その際「商品化や販路についてどう考えているのか」と質問され、「私達はあくまで応援団。そこまでは考えていない」と答えました。 プロジェクト自身が 異業種交流の場 新たな商品を産み出す企業グループの組織化はまだ緒についたばかりです。繊維産業と一口に言っても、紡績、撚糸、広幅・小幅織物、ニット、染色、縫製、刺繍、プリントなど様々な業種、工程が分業化しており、それらの方々の協力がないと商品展開はできません。また、仕事がなくなって倒産・廃業する事業所も少なくありません。地域の中でこれらの工程をつなぎ合せたいと思い、いくつかの企業に相談を持ちかけていますが、簡単ではなさそうです。 好評だった産業フェア 「木綿物語コーナー」 11月7日に開催した岸和田市産業フェアでは「木綿物語コーナー」を開設し、プロジェクト参加企業や「きしわたの会」が各種製品の展示・販売を行ないました。そして、コーナーの前には新しい綿繰りの機械「くりくりワン」(おそらく日本初)5台が並びました。 |
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2004/12/1 10:20 |
中越地震被災地視察報告(私が見た中山間地大震災と研究の課題)
中越地震被災地視察報告(私が見た中山間地大震災と研究の課題)初村 尤而(大阪自治体問題研究所理事)記 2004年12月8日と9日、私は、新潟県長岡市の笠井則雄市会議員の計らいで、にいがた自治体研究所の福島富副理事長らと中越地震の被災地、新潟県長岡市と山古志村に入った。これはその報告である。 私は新潟に格別の思い入れがある。2001年から、新潟市、続いて長岡市の財政分析をする機会を得た。分析の対象は「財政」だったが、両市とも合併問題と関係が深かった。当時人口50万1千の新潟市は日本海側初の政令指定都市移行をめざして、周辺市町村を合併しようとし、第1段階として01年1月に人口2万6千の黒埼町を編入した。合併時に策定された新市建設計画の事業費733億円はすべて黒埼町に集中するとされた。新潟市側に事業計画がなかったわけではなく、大型公共事業は目白押しであったが、それらには目をつぶり、人口増加のためにはどんな条件でも受け入れる「条件丸飲み合併」だった。早晩これは破綻した。総額733億円といえば年間にすれば73億円である。合併直後から、新市の財政状況は悪化し、旧黒埼町地域の事業は縮小しつつある。 長岡市は人口19万人、県内第二の都市である。私が調査中の02年10月に長岡市・見附市・栃尾市など3市4町1村の合併を視野に入れた長岡地域市町村合併研究会が結成された。そのなかには中越地震の被災地・山古志村も入っていた。合併後の人口は30万6千で、かろうじて中核市移行の条件を獲得できるものだった。同研究会は合併後の財政シミュレーションを作成した。財政シミュレーションなるものが自分の分析対象になったのはこの時が初めてだった。当時、新潟県内は合併計画が続出し、これに対応するために、にいがた自治体研究所の会員が中心になって県内をカバーするネットワークが結成されていた。ネットワークが力を入れたのが財政シミュレーションの検討だった。この点が他の合併問題に取り組む住民運動と違う点だった。合併後の財政シミュレーションの作成を合併協議会や自治体当局に要請し、確かに次々と財政シミュレーションが策定された。ネットワークは、自治体財政とくに地方交付税の学習を繰り返し、策定された財政シミュレーションの検討を進めた。私は当時長岡をたびたび訪問していた関係で、長岡地域以外のシミュレーションの検討にも加わることとなった。この時の学習と調査分析の成果が『合併財政シミュレーションの読み方つくり方』(自治体研究社、2003年1月初版発刊)となった。こうして新潟県は、合併の動きが激しい「合併王国」ではあるが、住民の運動で合併協議会がつぶれる数も多い戦場となっている。 長々と私的なことを申し上げた理由は、今回ひどい地震被害を受けた地域が、合併の動きが激しく、かつ私もまったく無縁ではないからである。すでに大きな被害を受けた堀之内町・小出町など2町4村は11月に合併して魚沼市となった。05年4月には長岡市・山古志村など1市4町1村が合併し、新しい長岡市が誕生する予定である。当面震災下の合併問題も大きなテーマとなりそうだ。このまま予定通り合併してもいいのか、合併するにしても、その前にやっておくべきことがあるのではないか、思いきって延期した方がいいのではないか、今回の震災で疑問が続出している。 震災については、95年1月の阪神・淡路大震災を体験した私はどうしても「あの時」と比べてしまう。幸い、私は大阪と京都の中間点当りに住んでいるため、震源地から離れていて被害はなかった。それでも睡眠中を震度5に襲われ、布団から立ち上がることができなかったことを覚えている。被災地に入り初めてボランティアを体験し、地震の怖さと被害の悲惨さを目にした一人である。 「阪神」は文字通り大都市直下型であり、「中越」は中山間地の真下で発生した点で違いがある。被害の現れ方にも、対策の取り方にも違いが出てくるように思う。まずは、視察で見た震災の率直な感想を述べたい。 まず、家屋の倒れ方に「阪神」との違いを感じた。「阪神」は本当に無惨だった。多くの家屋は見るだけで全壊とわかり、全焼で燃え尽きた住宅が独特の臭いを発していた。多くの住民が倒壊した家屋の下敷きになって死亡し、焼死した。それに比べると「中越」は表面的には家は「建っている」。案内してもらった長岡市内六日市地区のように倒壊し撤去がかなり進んでいるところもあり、今回は訪問できなかったが、川口町などでは多くの住宅が倒壊したとテレビや新聞は伝えている。しかし、その数は「阪神」に比べればはるかに少ないように見えた。家屋の下敷きになった死者が少なかったのはそのためだ。専門的なことは分からないが、理由は私にも想像できる。よく知られるようになったが、中越地方は有数の豪雪地域である。私も03年12月に今回の震災地の近くの津南町から長野へJR飯山線で移動したことがある。津南駅で列車待ちしていた30分ほどの間に、降り始めた雪がみるみる積み重なってゆくのを見た。並の雪国ではないとこの時ちょっぴり怖くなった。きっと中越地方の家屋はそんな豪雪にも耐えうるようにしっかりと建てられていて、そう簡単には倒れなかったのだろう。それに比べれば、阪神地域には文化住宅とかアパートとよばれる高度経済成長時代に建てられた粗悪な集合住宅が密集して建ち並び、しかも築後30年以上経っていたものも多かった。「阪神」ではそういう家が真っ先につぶれ人を圧死させた。そもそも家の造りが比べものにならないのだろう。 では、「中越」の住宅は何ともないのかといえば決してそうではない。一見したところ何の損傷もなく、確かにそこに「建っている」のだが、住宅の「足下」を見ると、地面が滑り落ち住宅の端が宙に浮いている。地面ごと家が1メートルほど横に移動したものもあった。「阪神」では住宅を建替えればよかったが、「中越」では建替えようにも土地の状態が震災前と同じではないのである。もちろん、「阪神」の時にはそんな例がなかったわけではない。私の友人の家は高台に建っていたが、地面の崩れで一部を失い、家も傾いた。しかし、そんな住宅は「阪神」では比較にならないほど少なかった。 考えてみれば、住宅は土地のうえに建っている。土地あっての住宅であり、住宅=土地+建物、なのだという当たり前のことを私は再認識させられた。長岡市長が今回の震災の特徴を「地盤災害」と言ったのはまさにその通りである。災害復旧支援のなかに「地盤回復」を含めなくてはならないと思う。 土地の大切さは、住宅だけではない。「中越」では住民の生活そのものが土地との関係が深い。魚沼産コシヒカリは何年もかけて作りあげられた優良な田んぼから生産される。錦鯉の養鯉場は、そこにあるから意味があるのであって、移転は難しい。そして田んぼや養鯉場の近くで住民は暮らしている。土地と生活は切り離しがたく結びついているのである。「阪神」では、寝泊まりする場所を移動すればすむサラリーマンは別の場所に居所を変えることで当座をしのげた。ちょっとお金のある人は大阪や京都のホテルから通勤した。「今回」もそういう人もいるのだろうが、多くの人は転居できない。全村避難となった山古志村の住民の9割が村に帰りたいと言っているのは、単なる望郷ではなく、帰らなければ生活を維持できないからだと受け止めるべきではないか。 「阪神」で問題になったのはコミュニティからの遮断だった。「中越」では、仮設住宅の建設とそこへの移転にさいして、従来の地域のつながりを壊さないことが不十分ながら配慮されているように見える。「ご近所」から、とくにお年寄りを切り離してはならないという「阪神」の教訓が生かされたようだ。残念ながら、仮設住宅の実情を視察することはできなかったが、そう願わずにはいられない。 はじめにも述べたが、「阪神」が大都市型震災であったとすれば、「中越」は中山間地型震災と言えるかもしれない。テレビや新聞が全国に伝えた震災の象徴的な映像は何かと問われれば、「阪神」の時は、阪神高速道路の倒壊と数日間続いた火災、「中越」は、埋もれた土砂からの子どもの救出と、「天然ダム」の発生だと答えると思う。両者は、大都市型災害と中山間地災害を象徴している。だとすれば、「中越」震災からの復興は、国土の7割をしめる中山間地をこれ以上潰さないことであり、その再生ではなかろうか。全国町村長会が2002年11月にまとめた「21世紀の日本にとって、農山村が、なぜ大切なのか」には「農山村のかけがえのない価値」について、(1)生存を支える、(2)国土を支える、(3)文化の基層を支える、(4)自然を活かす、(5)新しい産業を創る、の5つがあげられている。中越地震による被害からの復興はこうした中山間地の国土に果たす役割の大きさを政治や社会がどの程度理解しているかの試金石ともなろう。「中山間地の復興」を本気に考えるのなら、長岡地域の合併はとりあえず延期すべきだという結論になる。 第一に、震災によっていまある新市建設計画が無意味になっている。急ぐのは震災復旧・復興であって、合併特例債による事業ではない。年間予算25億円の山古志村が受けた1,200億円とも言われる被害を山古志村が賄いきれるものではない。合併しても新しい長岡市が担いきれるはずもない。長岡市から村へ通じる道路、村の中を走る道などは、村道を含めて国や県が整備しなければ、例え長岡市といえども無理だろう。復旧・復興事業が行われれば、新市建設計画で予定されていたものがすんでしまうかもしれない。05年4月の合併はいったん延期し、新市建設計画を作り直す必要がある。改めて合併後必要な事業は何なのか合併協議会での議論が必要である。 第二に、合併を急がせている財政支援策がまったく効力がないことがはっきりし、合併を急ぐ必要がなくなってきた。今年3月に合併したばかりの新潟県佐渡市の財政が国の三位一体改革の影響もあって今後10年間で734億円の歳入不足(年間73億円)に陥ることが予測され、新市建設計画の全事業を見直さざるをえなくなった。また、昨年12月に合併してできた三重県いなべ市(人口4万5千)では、新市財政計画での04年度の地方交付税は27.74億円となるはずだったが、実際に交付される額は22.88億円と5億円近く減り、県支出金も15.47億円を見込んでいたが7.02億円にすぎないという。これに対して市債発行額は21.12億円の見込みに対して、2.75倍の58.15億円になるという。合併時に国民健康保険税、保育料、上下水道料金を低い町に合わせたが、04年度の所信表明で市長は国保税と水道料金の値上げの意思を示した。つまり、合併しても財政効果はまったく期待されなくなったのである。それならば、05年3月までの合併を急ぐ理由はまったくない。 大震災を目の当たりにして、合併が地方自治にとってけっしてプラスにはならないことを改めて私は感じている。にいがた自治体研究所の福島副理事長は、東京都三宅島の例をあげて、三宅島は三宅村という単独の自治体であるからこそ、全島避難後4年を経過しても島への帰還が行政の最大テーマになり続けることができるのだと言われている。もし、山古志村が長岡市に編入され、長岡市山古志地区となってしまったときに、それでも村への帰還が新しい長岡市のテーマとなりつづられるか疑問である。だから、少なくとも山古志村では合併を延期し、住民の多くがもとの生活ができるように復旧・復興事業を行い、そのあと合併しても遅くないと私は思っている。 以上は、私が長岡市と山古志村を視察した感想である。
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