角橋徹也・立命館大学非常勤講師
赤い三角屋根のJR中央線国立駅から真南に伸びる幅44メートルの大学通りは、国立市のシンボル道路として広く市民に親しまれてきた。道路の両側のゆったりとした緑道には長さ1・2キロにわたって288本の桜と銀杏が植えられ、四季折々に彩られる並木の風景は新東京百景にも選ばれた景観の名所である。
国立の美しい町並みは、関東大震災の復興を機に東京商大(現一橋大学)を誘致して田園学園都市の建設を目指した箱根土地株式会社(現コクド)によって1923年頃に建設されたものである。その後、戦後復興と高度成長期に国立の景観を損ねるさまざまな開発の動きが生じるが、住民たちは75年間にわたって文教地区の指定、歩道橋裁判、景観条例の制定、地区計画の指定などの手段を行使して環境破壊に立ち向かってきた。
しかし、市民たちが守り育ててきた景観が99年に計画された巨大マンション計画によって一挙につき崩される事態が発生した。住民たちは市長を先頭に抵抗と反対の運動を展開したが建設を阻止することが出来なかった。そこで住民たちは訴訟に踏み切り、03年12月遂に画期的な判決を勝ち取った。
東京地裁は、大学通りに面する“高さ44メートルの巨大マンションの20メートルを超える部分は撤去せよ”と命じた。
国立市は市の行政指導や景観条例を端から無視して建設を強行した被告(明和マンション)の敷地を対象に、建築物の高さを20メートル以下に規制する地区計画をかけ、それに基づいて市建築条例を制定した。その途端に本建築物は既存不適格建築物となってしまった。建築物の確認が下りた後の条例制定であったため、法律上の“不遡及原則”にも抵触する恐れもあった。被告側も地区計画と市建築条例は被告らの建築行為を阻止する目的で制定されたので無効であると主張した。
これに対して判決は、大学通り沿道地区では地権者(以下住民という)らが長期間にわたって高さ20メートルの並木の高さを超える建物は建てさせないという願いのもとで土地利用し、大学通りの景観を形成し、これを保持してきた。そこには住民間に暗黙の合意と制約が存在した。国立市も景観条例を制定してこれを担保してきた。それを承知で被告が、建築基準法上高さ規制がないことを理由に並木の2倍以上の高さの建築を強行したため、市は暗黙の合意と制約を公法上の高さ制限に高めようとして地区計画と条例を制定した。この行為は国立市の従来の景観政策の延長上にあり、建築基準法の定める目的を逸脱するものではないと判断した。
また判決は“景観の付加価値”という概念を創設し、ある地域で住民が建築物の高さや色調、デザイン等に一定の基準を設け、互いにこれを遵守することを積み重ねた結果、そこに独特の景観が形成され、それが社会的に認知されている時はそこに都市景観による付加価値が生じていると述べた。
この付加価値は、住民相互の充分な理解と結束及び自己犠牲を伴う長期間の継続的な努力によって自ら作り出し、享受されてきたものである。それは全員の連帯で遵守される必要があり、住民は自らの財産権の自由な行使を自制する負担を負うと同時に、ルールに従わないものに対して負担を求めるのは当然だと判断した。つまり、住民は形成された良好な景観を自ら維持する義務を負うとともに、その維持を相互に求める景観利益を有するものであり、この景観利益は法的保護に値し、これへの侵害は不法行為にあたると断じたのである。
本判決の意義は、住民が地域の環境や景観に親しみ、それを守り、育ててきたもので社会的に一定の評価がある場合、かりに法的な裏付けがなくとも付加価値を生じさせ景観利益を発生させる。そしてそれを破壊しようとするものは一定の社会的制裁を受けるべきだと判断したことである。
国立市民が培ってきた暗黙の了解などの内在的制約は、法律上必ずしも明文化されていないが、開発を規制するひとつの規範となっている。それは市民たちが長い運動を通して合意し、共通の財産として大切にしてきたものである。これを確実に担保するにはもちろん建築協定や地区計画が活用されるべきだが、さらに大きなスケールで内在的制約をトータルに保障するため法的規制が不可欠となってくる。しかし必ずしも法的規制にかからないところで住民に慣れ親しまれてきた景観について、長年の運動による景観利益の発生に期待をかけざるを得ない地域も存在するのである。
建築物の厳しい規制をもつドイツ、オランダで通例となっている建築行為における“周辺の建築状況の特性との適合”という条文は日本にはない。オランダの公共建築物の場合、建築の本質的なクオリテイが最も尊重される。それは美しさを追求する形態的なクオリテイではなく、建築と都市計画に関する機能、技術、環境などすべてのクオリテイを統合したものでなければならない。また歴史的地域ではすべての建築物の外部指標(高さ、色調、デザインなど)は公共財と見なされ規制の対象になる。
このような規制もなく、昨今のように規制緩和で“建築自由の原則”がまかり通る日本の状況のもとで、本判決が示した“運動の積み重ねによる景観利益の創造”が重要な意義を持つ。住民があらゆる困難を乗り越えて運動を継続発展させればそこに“景観の権利性”が生じるとの判断は住民に勇気をあたえるものである。大津地裁による豊郷小学校の解体禁止の仮処分決定も住民運動が背景にあったからである。
歴史的な意義をもつ国立判決は、今後高裁・最高裁の段階でいかなる判断が下されるか予断を許さない。しかし、そこで展開された法理は歴史的建造物の保存や景観保存の運動の長期かつねばり強い運動の重要性を示唆している。法の解釈は運動の広がりによって紆余曲折を経ながら着実に進歩しつつある。