直接請求で住民投票条例を成立させた忠岡町の住民パワー
「忠岡町の合併問題を考える会」代表 出口 勇
政府は、地方交付税などの支出削減、大型開発を効率的にすすめる体制づくり、住民サービスの切り下げなどをねらい、市町村合併を押し付けています。忠岡町はこうした中で2002年7月1日「岸和田市・忠岡町広域行政勉強会」を設置、2002年8月7日「泉北2市1町広域行政研究会」を設置、2003年3月5日職員対象に岸和田市との合併を説明、5月〜6月地区懇談会などで説明、2003年6月30日「岸和田市・忠岡町法定協議会の設置について」議会で可決し、合併を推進しました。町の合併推進の理由は「財政危機で単独ではやって行けない。合併しかない」という大阪府下共通のものでした。
統一地方選挙以後、年金者組合、新婦人、民主町政をつくる会など各団体がそれぞれ学習会を行っていました。各団体では合併問題はあくまでも住民の意思を尊重してきめるべきであるという、ほぼ共通した認識になっていました。7月にこれらの団体が一堂に会して、「忠岡町の合併問題を考える会」を結成し、具体的運動に取り組んできました。
具体的には(1)機関紙「住み続けたいまち ただおか」を03年8月から毎月発行しました。(新聞折り込み)内容は、合併協議会や町議会の内容を知らせるとともに、国や府が合併を進めるねらい、財政問題、既に合併した自治体で起きている弊害、合併する・しないは住民投票で、などを掲載しました。
(2)11月29日に、自治体問題研究所の木村雅英さんを講師に「忠岡の将来を考えるつどい」を開催しました。(参加130名)質疑・討論では「こういう機会をもってくれてありがたい」と、10名を超える住民の方から発言があり、予想をはるかに越える盛り上がった集会になりました。
(3)2月22日に、同じく自治体問題研究所の初村尤而さんを講師に「第2回忠岡の将来を考えるつどい」を開催し(参加150名)、署名活動の協力を訴えました。
(4)2月7日から住民投票条例制定を求める陳情署名を取り組みました。「天文学的数字」やと言いつつも、目標を5000名に設定しました。署名運動は、最初は「もう合併が決まっているのやろ」と言う人が多かったが、署名が進むにつれ、「住民投票で決めるのは賛成や」と言う人も増え、署名を集めてくれる人も増えました。3月8日第1次集約分3743名分を町長に提出し、その旨機関紙で知らせました。署名数に勇気づけられ、これまでおかしいと思いながらも声を出せなかった住民が声を出し始めました。「だんじり」の新調を相談する寄り合いでも、だんじりの話よりも合併問題の話で持ち切りになる状態です。町を歩いていると、知らない人からも「合併問題がんばってや」と、声がかかるほどです。4月27日第2次集約分1428名分を町に提出しました。署名総数5171名(有権者数1万3700名)となり、目標を達成することができました。
4月には、わたしたち以外にも、住民がたちあがり「忠岡町を愛する会」を結成し、住民投票条例制定の直接請求を行ない、わずか一ヵ月で署名総数5104名に達しました。
5月18日に開催された合併協議会でも、岸和田の二人の委員から、「忠岡の住民から住民投票の請求がされ、約1万の署名が集まっている中で、そういったかたがたの意見を無視して、協議を進めるというのはどんなものか」といった問題提起がありました。議員の在任特例をめぐって意見の相違もあり、合併協議会は休会状態になりました。
6月1日、忠岡町は広報紙と一緒に「忠岡町の進むべき方向について―単独それとも合併」という冊子を全戸配布しました。その内容は、財政推計をグラフにし、このままでは再建団体に転落するとし、それを回避するためには、職員の賃金カット、人員削減、町会議員の定数削減(18→12)公共料金の28%引き上げ、各種団体の補助金全廃など、住民脅し、職員脅しのもので、合併しなければ大変なことになると印象づけるものでした。そして、この冊子の住民説明会を6月18、19、20日に行われました。3日間の住民の発言は、大別すると、財政危機に至った原因の究明、町の財政推計の問題点の指摘、住民投票を要求する内容のもので、町の説明に同意する発言は1名だけでした。住民を押さえ付けようとした町のもくろみは失敗しました。
6月22日町議会本会議が開催され、町長は「住民投票条例の制定は必要がない」との意見書をつけて条例案を提案、総務常任委員会に付託することを決めました。議会傍聴者は本会議場に入りきれず、1階のモニターテレビの前に50名ほど集まり、住民投票を要求する発言には拍手が起こる状況となりました。
6月29日の総務常任委員会での採決結果は賛成2、反対2の可否同数となり、委員長判断で可決決定をしました。
7月2日の本会議では賛成14、反対2の圧倒的多数で条例案が可決しました。住民投票は8月17日告示、8月22日投票で行われます。町長は住民投票の結果、反対が多ければ辞職する旨表明し、何が何でも合併しようと背水の陣を敷いています。
住民投票を目前にして、10名の町会議員が連盟で合併賛成のビラを発行したり、初めての団体名で合併賛成のビラを出して、合併に反対する住民を攻撃してきました。わたしたちは会の名称も「合併しないに○の会」と改め、合併反対を明確にし、「QアンドA」や反撃ビラを発行し、宣伝カー、ハンドマイクで宣伝を行っています。また、「忠岡町を愛する会」も合併反対を呼びかけるビラを発行しています。
8月7日には忠岡町公民会館で200名を超える参加で「合併反対! 忠岡住民のつどい」を開催、「忠岡町を愛する会」の代表者の方にもあいさつをしていただき、大成功させることができました。
投票日に向け、予断を許さない激しい戦いとなってきています。住民投票を実現させた住民パワーを再び発揮して、22日の住民投票で合併を阻止し、歴史と伝統のある忠岡町を守りぬきたいものです。
出口 勇(でぐち いさむ)
昭和18年生、忠岡小学校、忠岡中学校、岸和田産業高校、関西大学経済学部(二部)卒業
昭和37年から平成15年まで大阪市職員。 家族は妻と長男・長女
趣味 卓球・囲碁
「忠岡町の合併問題を考える会」代表
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