では一体なぜこのような形態の財政危機が起きたのか。そのよって来る所以をたどれば、これこそ政府の1980年代の第二臨調「行政改革」による政策の失敗の帰結である。「増税なき財政再建」を掲げてスタートしたこの臨調「行革」のもとで、最初は確かに社会サービスカットや経費抑制、第一次の「地方行革」の強制や補助金カットといったことが進展した。しかし本当に必要なわが国の産業や経済の構造改革と財政構造改革の展望を欠如していたこの路線は、1980年代後半にはいると、国際経済摩擦や円高問題に起因する「内需拡大」を要求する国際的圧力(「日米構造協議」で、今後10年間にわたる公共投資630兆円の国際協約を見よ)や、東京一極集中や「高齢社会」化等による国内的要因による圧力といった、国内外からの財政膨張インパクトが強まり、「増税なき財政再建」路線は行き詰まりと軌道修正が避けられなくなっていた。
こうして政府は、「財政再建下のなかでの内需拡大・経費膨張」という二律背反の難題の打開策として、政府は中央一地方財政間関係・制度の日本的特質をフルに活用して、地方財政を動員する施策を措置したのである。具体的にいえば、当初、地域づくりや地域福祉・高齢者福祉等を推進する事業に対し、これを単独事業として行う場合に、地方交付税交付対象として財政需要額の中に認定し(いわゆる地方交付税の補助金化)、かつ地方債許可で優遇・誘導する(後年度の元利償還費について地方交付税・基準財政需要額への組み入れ)といった、自治体への誘導措置をおいたのである。このため都市や農村部・過疎地域を問わず、全国の自治体では競って地方単独事業による公共事業を拡大し、その財源として起債許可を受けるという財政運営が顕著になった。そしてさらに1990年代に入ると、政府のこの地方債許可と地方交付税措置とを組み合わせた地方単独事業拡大への誘導施策は、バブル崩壊後の平成不況に対する総合経済対策推進の主役を地方財政に担わすために一層拡充された。
従って、今日の地方財政危機の原因と本質は、政府による1980年代臨調「行革」路線の軌道修正に端を発し、その過程で行財政制度に組み込まれた様々な誘導措置の結果として生じているということである。いわばマクロに見れば今日の地方財政危機は、国に管理された財政「危機」、あるいは固からの「地方財政への債務振り替え」による国家財政危機媛和施策の帰結といった特質をもっているのであり、その矛盾が臨界点に達したことを意味している。その点で財政危機の発現は、さしあたり都市と農村かによる自治体での違いは少なかったのである。しかしこれと表裏をなす問題として、見方を変えて個々の自治体というミクロの視点から見ると、もう一つの特質は、今回の危機はそれぞれ個々の自治体の事情は何であれ、こうした政府の行財政運営の方針に安易に乗って、これ幸いと起債を財源とした地方単独事業で建設投資を拡大してきた、自治体側の財政運営上の自己責任も大きいという点である。